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不惑、家族、そして恩師 [生活]

先日、不惑の誕生日を迎え、不思議と若い頃から楽しみにしていた四十代が、とうとう始まりました。
その記念すべき日、自分達では何も特別な事は企画していなかったのですが、双子の妹姫と私の二人を、家族が祝ってくれることになりました。夫、子供たち、夫の子供たちとその母親、そして妹の家族。
自分の家族の誕生日には、妹姫も私も手作りケーキを用意しますが、家族だけとは言っても大勢が集まる上に時間もない、それに自分たちの誕生日だし…
というわけで、午前中に二人でケーキを買いに出掛けました、好物のタルトを目指して。ついでにぶらぶらとお店を見たり…何でも無い時間でしたが、四十になってもイギリスという国で二人で一緒にいる可笑しさ、幸せを噛みしめていました。
三十代で癌を患って早世した母や祖父を思うと、三姉妹揃って四十まで健康に生きたことの幸運も感じずにはいられません。
午後は家族とのひととき。家がひっくり返ったような騒がしさ、ヒドい音痴バースデーソング、相変わらずの楽しい時間でした。




そして夜。この日は思いがけない歓びで締めくくられることとなりました。恩師との再会です。私に演劇を教えてくださった、この世界を見せてくださった先生。初めてロンドンに連れてきてくださったのも先生でした。その時十九才だった私も今日で四十です、と言ったら驚かれて! 
ロンドンにいらっしゃる間に何度かお会いして、思い出話、演劇の話を心ゆくまで(でもまだ足りませんが)語り合いました。以前と全くお変わりなく、存在自体が芸術作品のような方ですが、話はユーモアに溢れていて…この希有なアーティストと十代で巡り会い、そして偶然にも不惑の誕生日に再会出来たことで、心が引き締まり、新たな意欲が湧いて来るのでした。


テレビ 続き [生活]

前回、子供時代に観ていたテレビ番組について書きましたが、その後どうなったかと言うと、ほとんど観なくなりました。

何故そうなったのか。
1、舞台や映画に足を運ぶようになり、そちらに好みが傾いていった。
2、電子ゲーム等もそうなのですが、やめたときに達成感よりも罪悪感が残る感じ、予想以上に時間が過ぎてしまったという感覚が好きではない。
3、観たいと思わなくなった。子供のときは限られた時間のなかで夢中になって観たのに。

イギリスに来てからは、英語の勉強になるとは思ったのですが、習慣が無くなっていたので全く観ませんでした。ただ、子供3人が小さかった(0、2、3才)時の週末の朝、5時前に起こされて、他の家族が起きて来るまでの9時くらいまでの間、遊ぶ子供たちの側にいなくてはならないけれど、自分のことは出来ない、本を読むほど集中出来る状況では無い…そんな時間にベビーシッターならぬママシッターをテレビにしてもらった事があります。まさに時間つぶし、でも英語のスピードに慣れる手助けをしてくれたような。

で、現在。
スポーツ中継や、DVDで映画を観る時以外はなかなかテレビの前に座ることはありませんが、最近、初めてドラマをシリーズを通して観ました。十数年イギリスにいて初めて。会話をほぼ100%理解出来ることに時の流れを感じた!

人との会話というのは、語学力だけの問題ではない、と痛感する日々。たとえ100%英語が分かるようになっても、その国の人が常識的に持っている知識が無かったり、話題の人の名前を知らなければ、結局、会話についていけない。だから、新聞に目を通す、テレビを観る、分からなくても人の会話に耳をそばだてるということは、大いに勉強になります。特にテレビは、視覚で人を認識する、地方の強いアクセントに慣れる等々、役立つことは沢山ある…とは分かっているのですけれど…

偶然にも、私の周りにはテレビを観る人たちが少ないので助かっています、ふう。

自分の子供たちですが、彼らが小さい時にはベビーシッター代わりにテレビを見せてしまうこともありました。夕方の忙しい時などは特に。

今も禁止にしているわけではありません。ただ学校が本当に遠いのです。宿題をして、夜ご飯を食べて、お風呂に入ったらもう寝る時間、という平日には、時間が余ったら、一緒に音楽を練習したり家族でトランプをしたりと、コミュニケーションに費やしたい。

日本にいるときは、学校が近いので時間もありますから、まずは外で遊んで来たら、という条件付きで、夕方に少しは観ています(お相撲が始まっちゃうと、夫の独断で相撲中継に変えられてしまうのですけれど…)。

テレビそのものが悪いとは思っていませんし、探せば良い番組もあるとは分かっていますが、自分が嫌いになった理由と同じく、子供たちがダラダラとその前に座り続ける図が好きではないかな。

我が子達、日本でもイギリスでも、子供時代のテレビの話題についていけない大人になるのは必至、ごめんなさいね!