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宏美さん [観劇]

2月の末に日本へと旅立ち、怒濤のような1ヶ月を過ごして、数日前にロンドンに戻ってきました。

何をしていたかと言うと……
『世界はわが家』の記者発表(通訳)
『ダディ・ロング・レッグズ』再々演のリハーサル&初日を開ける(翻訳/通訳)
新訳『あしながおじさん』の出版(翻訳)
ワークショップ(通訳)
『世界がわが家』仙台公演のリハーサル&本番(翻訳/通訳)
『世界がわが家』東京公演のリハーサル&本番(翻訳/通訳)
合間合間に、未来の企画のためにミーティングやオーディションをする夫の通訳。

多くの経験をし、多くを考えた日々でした。改めて一つ一つを書いていこうと思っています。

という訳で充実した滞在でしたが、自由時間はほぼ皆無。旧交を温めたかったものの、とにかく時間が作れなくて残念なことも沢山ありました。次に日本に行く時には、もう少しゆっくり出来ればと願っています。

そんなタイトなスケジュールの中で、幸運だったこともありました。空き時間と、行きたかったコンサートの日程がピッタリと合ったのです。

『岩崎宏美コンサート あなたへ 〜いつまでも いつでも〜』
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(夫も宏美さんの大ファンです。この変わらぬ美しさの秘訣は何なのでしょう?!)


宏美さんの存在を知った当時、私は小学生。『すみれ色の涙』で宏美さんの歌声の虜となり、『聖母たちのララバイ』で完全にノックアウトされました。毎日のように声を張り上げて歌っていた私……クリスマスプレゼントを開けて、この2曲のシングルレコードを目にしたとき、狂喜乱舞したのを覚えています。

月日が流れて……役者になった私は、宏美さんと同じ舞台に立つことになりました。
実物の宏美さんは本当に飾らないお人柄で、カンパニーで一番若手だった私にも気さくに接してくださいました。真実だったので、「大ファンで……」「唯一(本当は2枚)持っているシングルレコードで……」などと言ってはみるものの、そういう褒め言葉は「ハハハハー!!!」と笑ってごまかされてしまう。「下町育ちだから!」とご自分でおっしゃる通り、気っ風の良いお姉様、という感じでした。
それでも私はいつでもドキドキ。そして、一ファンとして袖から歌を堪能させて頂いていました。

私の結婚が決まって、喜んでくださった宏美さん。真っ先にお祝いの言葉も頂きました。そうそう、宏美さんはいつでもパッと素敵な言葉をかけてくださる天才でもあります。

まったく違う立場ではありましたが、お子様と離れて生活なさっていた宏美さんと、複雑な家族構成の中に飛び込んでいった私とが言葉を交わす中で、何だか新たな関係も生まれたような気もします。

とは言いつつ、私が日本に帰国した時に会えるか会えないか、本当にたま〜にしかお目にかかれない宏美さん。日本国中をツアーしていらっしゃるので、私の日本滞在時にコンサートが東京で行なわれている確率はほぼ皆無。今回は本当にラッキーでした。

東京のコンサートとは言っても町田市。初めての町田は遠かった……。中学高校の友人(名前はまるっきり違うのですが、町田に住んでいたので「町田」と男子生徒から呼ばれていた)が、遠い遠いと言ってはいましたが、ここまでとは! 一度川崎市を通った? (後日、仕事でご一緒した音無美紀子さんから「そうなのよ、川崎市って東西に長いのよ」と教わり、改めて地図を見ながら、あの辺りの東京の形と川崎市、相模原市の関係を学びました。)

けれども!そんな遠くまで足を運んだ甲斐のある素敵な時間でした!!
実は夫も私も日本人歌手のコンサートは初めてだったので、全てが新鮮。コンサート会場の前列には親衛隊が固まって座っていて、開幕前に「コンサート中は掛け声等を発します、ご迷惑をおかけいたします」とのご挨拶が。礼儀正しい親衛隊ですね、「I ♡ 宏美」の鉢巻とペンライトが印象的でした。

変わらぬ美しい歌声を堪能した私たち。初めて生で『聖母たちのララバイ』を聴いた時には、親衛隊の方に交じって『ヒロリ〜ン!』と思わず叫びそうに。でも踏みとどまってしまいました。親衛隊の方たちとは席が離れていたので……臆病者です。

バンドメンバー紹介時に、夫と私の名前を口にされた宏美さん。
あの2枚のレコードを大事に大事に聴いていた小学生の私が想像だにしなかった瞬間でした。