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斎藤晴彦さん [生活]

土曜日は子供の行事で朝から出掛けていたので、パソコンを開けたのは夕方近くになってからでした。真っ先に目に飛び込んで来たのは、斎藤晴彦さんの訃報。え?まさか、と思ってメールを開くと、いつも遠くに住む私に舞台仲間のことを知らせてくれる宮本裕子嬢から、「斎藤さんが〜」というメールが届いていました。

斎藤さんとは、『レミ』『シーラヴズミー』『検察側の証人』と三作品でご一緒しています。
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『検察側の証人』のカーテンコール

ある時「麻緒子のお父さんは幾つ?」と聞かれたことがありました。私の答えに「ほぼ同い年だなあ、そうだよなあ」と、ニコニコ顔で妙に納得。私の方では、ずっと独身で黒テントというアングラ劇団を続けていらっしゃる斎藤さんと父の共通点を見出すことは出来ず……でも何となくそのことが頭に残っていました。

本当に親切な方でした。アンサンブルの私にもパッと短い言葉を(あの独特の口調で)かけてくださったり、本番後で疲れていらっしゃるにもかかわらず、アンダースタディのリハーサルを客席でご覧になったり。勿論、その時も私にだけだと自惚れていたわけではありませんが、斎藤さんが亡くなられた今、「優しい言葉や励ましの言葉をかけてくださった」と皆が口を揃えて言っているのを聞き、ああやっぱり!と改めてそのお人柄を認識したのでした。

結婚したころでしょうか、斎藤さんからロンドンの自宅に小包が送られてきました。中身はご自身が書かれた『歌う演劇旅行』というエッセイ集。執筆をなさる方だったのだ、と少し驚きながら読みました。まだ共演の記憶もそう遠くはなかったので、自分の出ていた舞台に関するエピソードの部分で大いに笑った覚えがあります。
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訃報に触れ、私は再びその本を手に取りました。そして笑いながら、泣きながら読みました。
何て知的な人だろう! 何てユーモアと優しさに溢れた人なのだろう!
ご自身がナレーターをつとめたストラヴィンスキーの『兵士の物語』の音楽を、グレン・グールドの弾くベートヴェンと比較し、「ストラヴィンスキー(作曲家!)とグレン・グールド(演奏家!)の音楽に対するセンスが似ているのかもしれない」だなんて、一体どれくらい音楽に親しんだら恐れもなく言えるようになるのだろう!
クラシック音楽のみならず、ニューヨーク観劇記、日本や海外での演劇体験記、幼少時の音楽体験、落語、美空ひばり、植草甚一、三木鶏郎、あらゆる話題があの口調で語られていて……

そしてジャズ。私にとって決して馴染み深い音楽とは言えないジャズを、斎藤さんがどれだけ愛していたかが、ひしひしと伝わってきます。行ったことのないジャズ喫茶の匂いまでしてきそうな文章を読んでいるうちに、ふと我が父と同じ年齢だということが思い出されました。斎藤さんほど四六時中音楽を聴いたりはしないけれど、ジャズには思い入れのある父。この世代の日本人とジャズ音楽の繋がりには特別なものがあると以前から感じていた私は、ああ、共通点を見つけた!と嬉しくなったのです。

思い返せば『レミ』も『シーラヴズミー』も『検察側の証人』も地方公演でした。ギャラやバイト代は諸々のレッスンや舞台・映画・美術展のチケットや本に消え、外食するお金も無かった当時の私は、公演後に誰かとご飯を食べに行くことも滅多になく、斎藤さんとゆっくり話をした記憶がありません。
あんなにもチャンスはあったのに、こんなにも素敵な人と何故もっと話をしなかったのだろう。温かい言葉をかけて頂きながら、『ウーマンインブラック』以外、斎藤さんの舞台に足を運ばなかった私は何て失礼だったのだろう。

『ウーマンインブラック』といえば、いまだに同作品がロングラン上演され続けているロンドンの劇場で、かつて1〜2週間ほど日本語版が特別上演されたことがあります。主演は勿論、斎藤さん。夫ジョンの通訳だった垣ヶ原美枝さんを通じて、「ジョンに是非観てもらいたい」という連絡が入りました。夫も私も大興奮しましたが、何と不運なことか、その期間は我々が日本に滞在することになっていて、入れ違いとなってしまいました。それがどれだけ残念なことだったかお伝えしたくて、手紙を書いたことを思い出します。

『レミ』に深い思い入れのあった斎藤さん、ロンドンに送られてきた本も、きっとジョンにも読んでもらいたかったのではないでしょうか。

そのジョンからご遺族へのメッセージがここにあります……

晴彦が亡くなれたと聞き、大変悲しく思っています。彼は素晴らしい人でした。優しくて、面白くて、気取りが全く無くて - そして素晴らしい役者だったのです。 『レ・ミゼラブル』のテナルディエ役だった彼と仕事をした過ぎ去りし日々は、私にとって本当に楽しい思い出となっています。彼は凄い手法をもって、この役に取り組みました。謙遜と技術を程よく混ぜ合わせながらゆっくりと役に近づき、最後には何処からがテナルディエで何処からが晴彦なのか全くわからなくなってしまいました。 時々彼は、何の技術も無い哀れな子供みたいに、歌や演技に関して救いを乞うような様子をみせることがありました。でもこれは一種の策略のようなもの - 本当は自分がしていることを熟知しているのだけれど、それを認めるのには謙虚すぎた、思慮が深すぎただけなのです! そして彼はいつでも後輩の役者、いえ一緒に舞台に立つ全ての役者たちの支えとなっていました。一緒に稽古場にいて楽しい存在 - 私はあの優しい笑顔と、可笑しくて魅力溢れる自虐的な話の数々を決して忘れません。 本当に独特だった彼のことを、友人や舞台で共演した仲間が忘れることは無いでしょう。今後永きに渡って、日本の演劇界には大きな晴彦形の穴があくのです。 ご家族の喪失に深い思いをよせて、 ジョン・ケアード


長いブランクの後で復帰した舞台、2007年の『レミ』の稽古で、幸運にも私は再び斎藤さんとご一緒することが出来ました。ジャージ姿でストレッチをする斎藤さんに駆け寄り、稽古が始まるまで話をさせて頂きました。とはいっても15分程度……殆どが舞台の話でした。
その時の斎藤さんを鮮明に思い出せることが、私の数多くの後悔を少しだけ和らげてくれている気がします。

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