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ピオニー [生活]

『芍薬』って子供の頃は嫌いな花でした。
まず名前が古臭い感じがしましたし、中国画に描かれた花がグロテクスクに見えたからです。実際の花を目にしたことは無かったにもかかわらず……

ですから、
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
などという言葉は、何だかピンときませんでした(実は百合もそこまで好みではない)。

そして、ウン十年が過ぎ……
イギリスに来てからの話ですが、とある庭であまりに美しく咲いている花があったので、
「これは何?」と聞いたら、
「Peony(ピオニー)よ」という答えが返ってきました。

帰ってから『Peony』を辞書で調べると、なんと『牡丹、芍薬』とあるではありませんか!ええっ?全然グロテクスクじゃないっ!素敵ー!!

それから徐々に芍薬が増えていった私の庭。
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たくさん花が咲くまでには年数がかかるのですが、待つ甲斐は十分にあります。香りもいい。花の命は短いけれど、株の形や葉っぱも美しいので気になりません。

最近、イギリスの友人に「木のヴァージョンのピオニーが欲しいわ」と言われて再び調べた結果、木のヴァージョンが『牡丹』で、草(冬には茎が枯れ、また春になると生えてくる)ヴァージョンが『芍薬』なのだと学びました、今更ですが。

ちなみに我が家にあるのは全て『芍薬』です。

『At Home in the World』2015 [観劇]

ロンドンはまだまだ肌寒くて、始まった夏物セールが冗談のように感じられます。

昨日の土曜日、『世界がわが家』の日本・東京公演が無事に行われました。行われたようです、というのが正確な表現でしょうか、残念ながら私は観ることができませんでした。

今回も日本語翻訳という形で関わらせていただいたこの作品、再演なので少しは楽かな〜と思ったら全くそんなことはなくて。新たな委託作品も加わった上に構成も大幅に変更となり、またまた夜なべ作業が続きました。

いつもギリギリに上がってくる英語台本。
昨年の日本初演時、パフォーマーやスタッフたちと東北の合宿所に篭って(「篭る」という言葉がドンピシャな、雪のなかの隔離された場所)作業をした日を思い出しました。
そのときは演出のジョンの通訳・助手も兼ねていたので、どうしても翻訳は夜の睡眠時間を割くことになってしまい……歳のせいか、寝る時間を削ったせいで体調を崩し……でも誰にも言えず、医者もいなくて……体調悪化のせいで一睡もできず(丸二日不眠)……と散々なことになっていました。
それでもその結果であるコンサートがあまりに素晴らしかったので、すべてが良い思い出となっています。

アメリカから始まった今年の公演、本当に参加したかったのですが、自分の子供たちを託す都合がつかず、泣く泣くロンドンに残って翻訳のみを担当することになりました(ディケンズが、自分の子供たちを全く顧みずに、チャリティーに精を出す母親を描いていたのを思い出して自戒)。
で、ジョンの通訳は他の方がしてくださるし、私は翻訳をするだけだから、と少し気楽に構えていましたが、台本の新たな部分に加え、リハーサルをしているヴァッサー大学から変更箇所が時差と共に毎日届いて、結局同じくらいハードな日々が続きました。気づいたら空が白んでいる、鳥が鳴いている〜、という状態。
そして蘇ってきたのは東北の日々。

だめだー、観に行かなくてはっ!子供たちに会いたい!スタッフの方たちにも会いたい!

二日間だったら都合はつく。
日本に飛ばなくなったヴァージン航空のマイレージも使えずに貯まったまま。
義務教育終了時の全国共通試験(GCSE)を終えて一週間休みになった長男Yを連れて行ってしまおう! 長男は2年前に、あしなが育英会が設立したウガンダの遺児の学校を訪ねています。彼もその子供たちに会いたい、と大乗り気。

数日後には飛行機に乗っていました。
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アメリカではヴァッサー大学のあるポキプシー、ニューヨーク、ワシントンと三公演が行われました。私たちが目指したのはニューヨーク。ニューヨーク自体がなんと15年ぶり。「あなたも住んでいたのよ、一ヶ月。」と長男に言いましたが、勿論覚えておらず。

Jazz at Lincoln Center でのコンサート。ああ、ただただ素晴らしかった!
昨年と同じようでもあり、まるで違うもののようでもあり。昨年の公演を踏まえた内容は興味深く、振付家が参加したステージングはより洗練されたものとなっていました。そして何よりも主役の子供たちに目を瞠りました。その成長ぶり。
背後にどれだけの困難を抱えているのか計り知れ無いものがあります。けれども、舞台上で輝く子供たちを観ていると、それだけでこの舞台には意味があると感じずにはいられません。

一層深まった自信をもってパフォーマンスをする子供たちを観て、改めて気づいたことがあります。その三者三様な表現そのものが、なんと強く国民性を示しているのだろう、ということ。
個性や知性といったものを優先させて自己主張を恐れないアメリカの若者たち。彼らの歌うロジカルに構築されたポリフォニックなハーモニー。
壮大で過酷な自然と共に生き、その美しさを知るウガンダの子供たち。大地から湧くエネルギーそのものを歓びとして、余計な加工を施さずに彼らは踊ります。
協調性や和を重んじ、誰よりも勤勉な日本の若人たちが、大勢であるにもかかわらず一糸乱れずに和太鼓を叩く姿。一番の進歩を見せたのも彼らでした。

三者が、どれに勝るとも劣らず見事。間近で違う文化に触れ、お互いがお互いのパフォーマンスを尊重して、この子供たちの視野はどれだけ大きく広がったことか!
コンサートのナレーションが語りかけたように、この違いは分かち合うべきものであって、争いを生むものではないはずです。

昨年のコンサートをきっかけとして、ヴァッサー大学合唱団のメンバーの一人がウガンダで先生となったそうです。この一つの結果を生んだだけでも、コンサートは成功だったと言えるのではないか、と私は思います。

憲法解釈をどうにかして戦争に参加できるようにする、争いを合法化しようとする、そんな人たちがこの世に存在することが異様に感じられる一夜でした。

NY

15年ぶり……
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