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ストラットフォードの日々 Part 1 [生活]

ストラットフォードの気候はロンドンと比べると湿気があります。はじめは日本の夏のように感じられましたが、日中でも家の中は涼しいですし、日が沈むと外の気温も下がって寝苦しいなどということはありません。

開け放った窓。どこかから子供の遊び声が響いてきたり、日曜日には芝刈り機の音が聞こえてきたり。
通りに目を向けると、アメリカ映画でよく目にするフロント・ポーチ、そこに座ってくつろぐ人々の姿が見えて、それが不思議とノスタルジックな風景に映ります。

我々の移動手段はレンタルした自転車。
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カナダは右側通行です。
海外では、右側通行だろうがマニュアル車であろうが恐怖心もなく無事に乗り切ってきましたが、子供たちが自転車で道路を走るのを見るのは怖くてたまりません。
最後尾で
「一旦停止ー!」
「右に寄ってー!」
と叫びながら乗っています。

遊びに行くのも、劇場に行くのも自転車。そして買い物も。カゴが付いた自転車に乗っているのは私だけなので、皆でバックパックを背負って。

ここの人たちは皆フレンドリーで本当に親切です。
楽器が無くて寂しいなあ、と街の中心にあったギターショップにふらっと入り、
「一番安いギターだったらどれくらい?数週間しかいないから高いものは買えないの。」
と言ったら、
「20ドル(2000円弱)で貸してあげるよ。」
って身分証明書も何も見ないで、売り物のギターを貸してくれた! しかも新品のケース付き。
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ギターを手にしたことよりも、その親切に心が温まりました。

数日前には子供たちと一緒に『The Diary of Anne Frank(アンネの日記)』を観に行きました。すでに観ていた夫に、良いプロダクションだからと勧められて。

まずは出演者全員が舞台上に登場して、一人ずつ自己紹介をしながら、自分が13歳だった頃のこと、あるいは自分と第二次世界大戦との繋がりについて話します。そこから物語が始まっていく……

その冒頭から最後まで涙が止まりませんでした。

物語は隠れ家に住み始めてから見つかるまでの間。
決して暗い話ではない、むしろ聡明で個性的な13歳の少女の目で描かれた生活は、閉ざされた環境であるにもかかわらず、素晴らしいまでに活き活きとしています。自分、そして自分を取り巻く世界への好奇心に溢れているのです。

でも、観ている私たちは結末を知っている。彼女と家族がどうなるか知っている。だから、機知に富んだ人間描写を聞いても、ユーモアに溢れるエピソードに触れても、笑いながら泣いてしまうのです。

隣で見ている我が娘たちは13歳と15歳、息子は16歳。隠れ家に住み始めた時のアンネ、マルゴット、ペーターとほぼ同い年だと思うと、余計に苦しくなります。

母親との確執、性への目覚め……
最初に日記が出版された際、アンネの父親がカットしていた部分があったことが彼の死後に判明し、その部分を補って完全版が出版されました。それを受けて、フランシス・グッドリッチとアルバート・ハケット夫妻が1955年に書いたこの戯曲にも、ウェンディ・ケッセルマンによって97年に加筆・編集が為されています。
私が子供時代に読んだ本はカットされたヴァージョンだったので、早速最新版を購入して読み始めました。
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一緒に写っているのは舞台のプログラム。演出もセットもシンプルでありながら力強くて、本当に良質なプロダクションでした。

アンネを演じている Sara Farb は、1996年にトロントで初演された『ジェーン・エア』で、子役としてヤング・ジェーンを演じていたそう。立派な役者となった彼女との再会を、夫は喜んでいました。

赤毛のアン、そして想像力 [生活]

昨日は本当に落ち込みました。
珍しく家族揃って向かったレストランでも、文字通り頭を抱えて苦悶。何も手につかない、そんな状態でした。

前回、夫は生まれ育ったカナダに思い入れがある、と書きましたが、実は私もカナダに対して特別な思いを抱いています。
それは、子供のころに読んだ『赤毛のアン』の舞台がカナダ・プリンスエドワード島だったからです。

私はカナダ人ルーシー・モンゴメリーの書いたアン・シリーズが本当に好きでした。子供時代に夢中になった本は?と聞かれれば迷いなく『アン』と答えます。そして『あしながおじさん』。

我が家にあったアン・シリーズは村岡花子さんの翻訳で、ハードカヴァー函入り全10巻(『赤毛のアン』は知っていても、続きは読んだことがないという方も多いようですが、ストーリーはアンの子供の世代まで続いてゆきます)。
幸運にも?姉と妹は『大きな森の小さな家』から始まるローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズを好んでいたので、この10冊は私がロンドンまで持ってくることを許され、現在住んでいる家に一緒に引っ越してきました。

アンと『あしながおじさん』のジルーシャの共通点として真っ先に挙げられるのは、主人公が孤児の女の子だということかもしれませんが、私が注目するのは、二人とも想像力が人間にとって重要だと力説する点です。

ジルーシャは言います。
「いかなる人間にとっても重要な資質って、想像力だと私は思うの。それは相手の立場に立って考える助けになります。親切で、同情心や理解力のある人間にしてくれるのです。」

アンは相手を知ろうとするときに、まず想像力があるか無いかを見極めようとします。それが人間にとって一番大切な部分だと信じているからです。

読んだのはもう30年以上前なので、細かい部分は忘れているのですが、昨日ふと思い出したことがあります。アンの息子(多分次男だったと思う)ウォルター。

モンゴメリーがこのシリーズを書いている間に起きた第一次世界大戦。戦争は物語に色濃く反映されていきます。

カナダは英国連邦の一員として戦争勃発と同時に参戦しますが、徴兵制度はなく志願制でした。

ここから先は、実際の小説とはもしかしたらズレているかもしれません。
私が子供時代に読んで独自に解釈したこと、今思い出したいと願っていることが混ざっているかもしれません。


アンが自分に似ていると感じるウォルターは、想像力が豊かで感受性が人一倍強い。
彼は「戦争へ行く」ことは「殺し殺される場へ行く」ことだとしっかり理解しており、特に人を殺さなくてはならない状況を想像して耐え難いことだと思う。
志願制だから義務では無い。けれども他の者たちが自分の命を捨てていくときに、自分が安全な場所に残ることも彼の想像力は許さない。

そして彼は戦場へ行き、そこで命を落とす。

アンはその事実を知らされて打ちのめされるが、
「彼はきっと人を殺すことができずに、自分が死ぬことを選んだのだろう。誰かを殺して生き残るよりも幸せだったに違いない。」
と想像する。


カナダはこの戦争で(自分たちから遠く離れた場所で起きた戦争で)約六万もの命を失いました。

少しでも想像力がある人間ならば、戦争がどれだけ残酷で、怒りと無念さと絶望しか生み出さないものなのか分かると思います。

私は昨日、想像力によって打ちのめされました。

自分の子供が、身近な誰かの子供が、夫が、父親が戦争で誰かを殺すことを強要され、死んでいくかもしれない、そう想像せざるを得なくなったから……

ストラットフォード・オンタリオ [生活]

カナダ・オンタリオ州のストラットフォードに来ています。

そう、シェイクスピアの生地(聖地)として有名なストラットフォードと同名の街。
19世紀初頭にヨーロッパ人が入植した時に、イギリスのストラットフォード・アポン・エイヴォンにちなんで名付けられたそうです。
街を流れる川も、その部分だけエイヴォン川と名前を変えています。

川の他の部分の名前はテムズ。アメリカやカナダの地名は本を正せばヨーロッパのものばかりです。先住民が呼んでいた地名もあったのでしょうが、入植したヨーロッパ人が自分たちの故郷の地名を付けていった歴史をそこに見ることができます。

空港からストラットフォードまでの間も、高速道路の表示にはロンドン、ケンブリッジ、ウォータールーなどなど。飛行機に長時間乗って来たのは夢か幻か、と思ってしまいました。

そのカナダのストラットフォードですが、せっかく街の名前がシェイクスピアの生まれ故郷なのだからと、『ストラットフォード・シェイクスピア・フェスティバル』というものを開催するようになりました。
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毎年4月から10月に、シェイクスピアを中心とした大きな演劇フェスティバルが開かれます。もうかれこれ60年以上続いている北米大陸では最大級の演劇祭で、参加するスタッフや役者も超一流、その舞台を観ようと北米大陸(や世界各地)から集まる観光客相手のビジネスも盛んなようです。

私の夫Jはカナダ生まれ。プロフィールには必ず「カナダ出身」とか「カナダ生まれ」と書かれるのでカナダ人だと思っている人も多いようですが、イギリス人の両親のもとに生まれたイギリス人です。ただ、10歳まで暮らしたカナダという国への思い入れは強く、Jの第二の故郷であることは事実。

このフェスティバルで演出をというお誘いは前々からあり、Jもやりたくて仕方なかったのですが、いつもスケジュールが合わず……今年やっと実現しました。

『恋の骨折り損』を演出します。

5月末にロンドンを旅立ち、NYやワシントンを経由して6月半ばからストラットフォードにいた夫。私も夏休みに入った子供たちを連れて昨日到着し、ようやく家族一緒の時間を過ごせることになりました。

さて、夫がリハーサルで留守にしている借家に着き、早速荷ほどきを始めると……

この一ヶ月探し続けていた私の爪切りがデスクの上に!

カナダで借りている家のデスクの上に!!

楽器を弾く私には爪切りは必需品です。イギリスの爪切りの質に満足できず、日本にいた妹に頼んで手に入れたゾーリンゲン製の爪切りが、カナダのストラットフォードのデスクの上にぃ〜!!!

帰宅した夫をすぐに問い詰めました。

私「この爪切り、この一ヶ月半のあいだ血眼になって探していたのよー!」
夫「何を言っているんだ、この爪切りは僕のバッグにここ数年ずっと入っていたぞ。ここ数年なかっただろう?」
私「いいえ、一ヶ月半前まではありました。」
夫「じゃあ、もともと二つあったのだろう。」
私(ロゴマークを見せて)「これはS子に特別に買ってきたもらったもので、一つしかありません。」
夫「知らん、とにかく僕がここ数年間持っていたんだ」

しらばっくれる夫に呆れて、
「もう、終身刑だね。爪切りがどうのっていうより、その言い訳?嘘?に対して終身刑。」
と言うと……
「ああ、終身刑さ。こんな爪切りごときで大騒ぎする妻を持ったのだから終身刑も同じことだろう!」

感動の再会なんてものはどこにもありませんでした。

ヴァイオリン [生活]

久々にヴァイオリンを弾いています。
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始めたのは3歳でしたが、親の努力や説得も虚しく10歳で止めた私。
少し遅れて始めたピアノは中学生まで続けましたが、これもフェイドアウト。
どちらも気が向いたときに趣味で弾く程度になってしまいました。

姉はヴァイオリニスト、妹はピアニストになっていくなか、
「私は両方弾くけれど〜、どちらも酷いの〜」状態に。

でも楽器が弾けることがどれだけ有用か、本命である歌を始めてから実感しました。
特にピアノは弾き語りも出来ますし、ほぼ毎日のように触れていたと思います。

でもヴァイオリンは……本当にたま〜にケースから出してあげる程度で……

小さい頃は、姉が使えなくなったサイズのヴァイオリンを譲り受けて弾いていましたが、フルサイズになると、お古として譲ってもらえません。そこで、やはりヴァイオリニストである従姉の7/8という特殊なサイズのヴァイオリンを借り、弓だけが私物という状況で弾いていました。
その後ヴァイオリンはお返ししたので、結婚ロンドンに持って来たのは弓一本のみ。

そんな私に、夫は婚約指輪でも結婚指輪でもなくヴァイオリンをプレゼントしてくれました。

改めて先生についたりしたのですが、その後は子育てに追われて、またもケースの中で放って置かれたヴァイオリンちゃん(その間もピアノはずっと弾いていました)。

で、またそろそろ始めようかなと思っていた矢先に、娘が学校のオーケストラに入ったー!
ヴァイオリンは妹の夫(これまたヴァイオリニスト)に借りたものの、弓のスペアは無くて私のものを持って行くことになり、我がヴァイオリンと弓は学校の長期休暇のみに出会う七夕状態となってしまいました。

そしてそして、ヴァイオリンは棚上げしたまま、41歳にしてギターも始めてしまったという事実。
色々と手を出して、全てものにならない私なのよ〜。

さあ夏休み
弓とヴァイオリンが涙涙の再会を果たしました。

最近は私の甥っ子三人(姉の息子二人と妹の一人息子)が素晴らしいヴァイオリニストになりつつあって、感化されちゃって感化されちゃって大変。
そういう影響だけは受けやすいのです、ふふふ。

抜かされてたまるかって、もうとっくに抜かされているのだけれど、やる気満々です。
やる気だけはね。

そんなエネルギーに満ちた母と、息子Yの会話。

私「ヴァイオリン始めようと思っているのよ、また。」
Y「え〜、面倒くさい。」
私「あなたに弾け、って言っているんじゃないのよ。私が弾くの、分かった?」
Y「聴くのが面倒くさいんだよー。」
私「へ?」
Y「だって、クラシック弾くんでしょう?」
私「……う、うん、それしか知らないし。」
Y「お母さんはさ、ギターをもっと練習して、ポップスを歌っていればいいんじゃないの?」
私「でも両方やってもいいでしょう?」
Y「クラシックはもう十分だよ、お願い〜、やめて〜。」
私「…………。」

世の中、色々な意見がありますね。

でも、めげません。両方好きですから。
というわけで、これからもギターやピアノでポップスを弾き語り、ピアノとヴァイオリンでクラシックを弾きます。

いつかはどれかものになるかなー?

暑い、熱い [生活]

昨日のロンドンは猛暑と呼べる暑さでした。ヒースロー空港では記録を更新、36.7度だったとか。

思い立って、こちらでも手に入る材料で即席『冷やし中華』を作りました。材料を末娘に切ってもらったら、ちょっと不揃い……
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日本との違いは湿度。湿気が日本ほど高くはないので、屋根のすぐ下でない限り室内は断然過ごしやすいのです。窓が小さい我が家も涼しくて、外に出るまで猛暑に気づかなかったくらいです。
でも折角の冷やし中華ですからね、暑い外に出て食べましたよ〜。

熱かったのはワールドカップ
イギリス時間では深夜開始の試合だったので、前半だけ観て寝てしまいました。観続ける勇気が無かった、と言う方が正しいかな。
朝、恐る恐るニュースを見ると……

「勝ったー、勝ったー、勝ったよー。」一人で大騒ぎ。

日本vsイングランドの試合、ハーフ&ハーフの我が子供たちには難しい状況ですが、私はいつも以上に日本応援に力が入ってしまいます。

周りで皆が喜ぶ時にガッカリするなんて耐えられないっ!
じゃあ周りがガッカリしている時に一人で喜ぶのはどうか、って話になりますが……

嬉しいか、やっぱり。ふふふ。

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